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Chiropractic  健康はカイロプラクティックとともに 

Chiropractic 健康はカイロプラクティックとともに 

▼私の間違い


予防医学のカイロプラクティック

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私が間違っていました    私が間違っていました    私が間違っていました    私が間違っていました    私が間違っていました    私が間違っていました

もうかれこれ何年前になるんだろうか?

私がGLA関西本部の事務局員をしていた時でした。
旧GLA関西本部〈東大阪市みと〉で、大変な騒動が沸き起こっていた時でした。

1976年頃の事です。


ここから書くことは、現在のGLAの姿になる前の話です。

実際に ものごとは起こり、私はその渦中に存在し、これを証明する者です。

しかし この文責は私にあり、決してGLAには存在しません。


事の発端は、高橋佳子先生を 信次先生の後継者として認めないという集団(会員)が、色々と暗躍(聞こえは悪いですが)していた時でした。

私は事務局に在籍していたので、その分裂騒ぎの渦中に入っていたと言えば入っていたし、そうでないと言えばそうではない 微妙な所に立っていました。
私にはほとんど事務的な仕事はなく、一階の倉庫で、高橋信次先生や佳子先生の講演会カセットテープの荷造りとか地方発送をしていました。
勿論事務所には自分のイスと机がありましたが、一階の倉庫で作業するのが多かったですし殆どでした。


ところで当時の私の耳には事務所に居ても、高橋佳子先生の悪口や醜聞しか入って来ませんでした。 ほとんどが、「噂・うわさ」 という形です。
例えば、佳子先生が下着のパンツを持ってきて、当時 母親に「これ洗って」 と、皆が居てる前で命令していたとか、直ぐに怒って人を罵倒したとか、そういう類のものです。

しかし誰も 関西の人たちは 話のその現実を見ていないのです。
でも上層部の人がまことしやかに言ったため、下部の人達が信じてしまったんです。 実際に私が事務所にいた時、当事のM○○DA事務局長は言っていました。

当時 関西本部では個人の方が中枢になってピラミッド型人間関係が出来ており、個人の名前で 『 支部 』組織 がで来ていました。
ですから、仮にAという人が中心になっていたら、A支部という名前で色々な支部組織が出来上がっており、そして一般の方々はその中に組み込まれる形になっていました。
『 縁 』 として、その繋がりが出来ているという事です。
私も事務局員ではありましたが、IWA○○支部に所属していました。

現に我々はこの社会生活の中で、思想・習慣・環境・教育等々により、かなり心がその影響を受けてしまうものですね。

今のGLAの学びだと、三つの「 ち 」、 血(血縁関係等々)・ 地(生まれ育ったその地方、土地柄等々)・ 知(その時代の知識、情報等々) による影響を受けて、人は生まれてからその影響を諸に受け、精神的に大きな影響を与えられることを意味します。

その様な影響が私達の心に強く関係し、知らず知らずの内に感化されてしまう事がありますが、この場合も まことにその話が真実であるように感じられました。

ところが自分自身の心は、「あの人がそう言っているけれど、本当にそうなんだろうか? 本当なのだろうか?」 と思っていても、事務局という環境の中に居ることで、何時の間にか、心や考えはその色に染まってしまったようです。

自分では 「そんな事はおかしい。 そうではない」 と思っていても、現実には知らず知らずにその色に染まってしまっているものです。

そして自分の考えで動いていると思っていても、多くの他人の意見、特に上層部の人の言動に動かされ、本当の話を理解しないままに、確かめもしないままに生活しているのが現実ですね。

当時、その事務局や教団環境の中で、私は自分の心が判らなく成って行き、判断力が鈍くなってしまっていたのでした。

「自分は一体何を信じたら良いのか」 という事が、判らなくなってしまっていたのでした。


当事、私はビデオや音響の係りをしており、ナショナル製のビデオプロジェクターが新しく導入されたので、一人で三階の講演会場でその製品の映像テストをしていました。

そのビデオプロジェクターは三眼ビームの、画面が確か50インチだったかどうかは忘れましたが、当時の最新版のビデオプロジェクターでした。


試写用に使用したビデオテープは、映画の「ポセイドン アドベンチャー」 でした。

映画の内容は、ある大型客船が航海の途中で大波によってひっくり返り、その時点から 船の中の人間ドラマが始まるという映画でした。


その主人公はジーン・ハックマン主演の牧師さんでした。

彼は、常に自分に反対する人達を説得し続け、一生懸命安全な方向に導こうと頑張るのですが、一部の人を除いて、殆どの人が牧師を疑ってはその都度反抗しています。

そして牧師は最後の場面では自分の命を捨て、残った人を救うという結果を導いたのでした。

最後の方で彼は、神を呪うような言葉を言いましが、決して本当の呪いの言葉ではなかったと思っています。
そう、次の話と同じような状況を感じました。


かつてイエス キリスト様は 十字架の上で、今生の最後を迎える時に、「父よ、(神よ)許し給え。この者達は自分が何をしているのかが判っていないのです」 「この者達の罪を御許し下さい」 と仰ったそうです。

こうしてイエス様は 自分を殺そうとしている者達にも、神の許しを乞いました。

そしてイエス様を殺そうとした者達をも、イエス様は愛されました。


きっとこの映画の主人公も、イエス様の言葉を言ったんだと思いました。

現在の脚本家は、当事のイエス様の真実を知らないために、世間一般的に信じられている言葉ですが、
「 どうして神は 私を見捨てたもうたのか 」 という俗語を イエス様の最後の言葉だとして後世に伝えているようですが、
真実イエス様は、神様に関係する人々および、多くの罪に対して 許しと愛 を乞うたと言われています。


私はこの映画の最後を見終わった時、突如理由も無く急に胸が込み上げて来ました。
そして止めどなく号泣しました。

「 ○○エル様ごめんなさい。 申し訳ありません !」 と胸から搾り出すように言葉を言い、涙は止まることはありませんでした。 ただただ申し訳ない気持ちが込み上がり、これ以外の言葉は出て来ませんでした。


どれだけの時間が経ったのか判りませんでしたが、 暫くすると物凄く心は温かくなり、 しっかり眼は閉じているのに 閉じている瞼に黄金の光が輝いていました。 本当に不思議でした。

目を閉じているのに、 目の前はとても明るかったのです。

このような体験は本当に初めてでした。

自分が佳子先生に対して考え違い、 認識ちがいをしている事に、 今まで全く気が付かなかったのですが、 この経験で、自分がこれからどうして行けば良いのかという心の方向が決まったのでした。

今まで右ばかりを見ていただけでしたが、 何とか左を見る余裕が出てきたのでした。

それからの私は佳子先生に対する思い違いを、 はばかる事無く修正して行くことになりました。

勿論 事務局では異端児になっていましたが、 そんな事はお構いなく、 自分の信じた道を歩くことにしました。

でも現実には私の心に 得体の知れない 「恐怖」 が襲って来たのも事実です。


というのも、 私の心の間違いに気がついた時点から、 いつも本部の隣に在る宿舎において、 仕事中において、 得体の知れない恐怖心と戦っていたのです。

しかしこれは、 私が勝手に作った妄想かもしれません。


私は彼等-反対派( 高橋佳子さんを擁立しない人達 ) からすれば邪魔な存在でしたし、 「自分はもうじき殺されるかもしれない」 と云うような馬鹿げた、 脅迫観念、 が襲って来ていたからでした。

それぐらい、彼ら 「 反対派 」 を悪として、私は考え、捉えていたからでした。 馬鹿げたことですが、彼らを悪魔に突き動かされている魂だと理解してしまったからです。

この恐怖心を取り除こうとして、 いつも瞑想と反省を繰り返していました。


ある日瞑想していると、 心が恐怖で一杯になろうとしていた時、 そして、この現実はどうしようもないと考えてしまっていた時、 目を閉じていると、どこからとも無く とても素晴らしい音色が聞こえて来たのです。

それは一瞬の出来事だったかも知れませんが、 今まで聴いた事の無いシンフォニーが聞こえて来たのでした。

それは胸の奥から聞こえて来たのでした。

その音を聞いたとき、 恐怖心は消え、 心は落ち着いてきました。

そしてその音楽を聞いていく事で、 心が救われた経験をしました。


未だにあの曲目を聞いたことはありませんが、 紛れも無くシンフォニーでした。

私はクラシックが好きだから大概は聞いているのですが、 初めて聞く音色であり旋律でした。

しかしその時の音楽を聴いている時間は長くはなく、 目を開けた途端、 その音が消えてしまったのでした。

きっと人は、この私のこの経験を 「 幻聴を聞いたのだ 」 と言うと思いますが、 私はそうではないと否定することが出来ます。

だって聞いたのは 紛れも無く私なのですから。


しかしこの時期に私が経験したことの中で、 私自身が懺悔しなければならない事が山ほどあるのでした。

それは私を苦しめる者達、 恐怖を与える者達を 「 悪 」 と決め付けた事です。

自分以外を 「 悪 」 にする事は、これは人間としての道からかけ離れていると思います。

そして心の苦しさから逃避するために、 してはいけない逃避行動を採った事です。
様々な逃避行動を採りましたが、 自暴自棄に成っていたと思っています。それくらい自分を責め過ぎていました。


イエス様は、悪をも愛された。

イエス様は、 ただ当時の人間が 「 心の罪 」 という意識判断が出来ていない事を理解し、 それゆえ それすらも愛されたと思います。

私はイエス様のように、生きることが出来なかっただけなのでした。

イエス様の生き方が出来なかった。  それは今もこの当時のことを思い出すと悔やむ原因になります。

また私には仏陀の生き方も出来なかったのでした。  慈悲と愛という生き方が全く出来てはいませんでした。

イエス様の 「 隣人を愛しなさい・敵を愛しなさい 」 という言葉は、私に重くのしかかってくる言葉です。

この言葉は私の永遠の課題を教えてくれているのだと思い感じます。


この時期には自分勝手なフラストレーションが、 あり余るくらい沢山ありました。

それから辛い事から逃れるために、 人としてしてはならない方向に走ってしまった事もありました。

その根本理由に、 「 自分は何も出来ない 」 と諦めかつ失望、 絶望していたからでした。

その恐怖心、 絶望感から逃れるために、 女人の優しさを求めた事もありました。

でもその行為は、 「 逃避 」 の何ものでもない行為でした。

「 逃避 」 … この行為は決してあってはならない行為だと思っています。


逃げても逃げても 現実を変革させない限り、 いつでもそれは後ろから追っかけて来るものだからです。

それゆえにしっかりと、 現実を 「 受け止め・受け入れ 」、 その意味を汲み取り、その中から滲み出てくる言葉を理解し、 目標を見つけ、 目的を決め、 実行していく事が、 とても肝心な事だと信じます。

だから人は自分の心を変革させる必要があると思います。


思いを変革させる事で( リボリューションさせる事で )、 またその思いを行動に移すことで、 この肉体は行動出来るからです。

肉体は、 その人の 「心」 に忠実に生きよう、 行動しようとしてくれている友人です。
そして細胞で構築されている器械です。
この三次元で息をして生きている器械です。

ある行動をさせる意識の中心に 「 心 」 があるのです。

「 心 」 は自分の全てであり、人格の全てです。


善も悪も、曖昧も、 全てこの心の中に入り込んでいます。

心を開かせることが出来るのは、 私達自身以外には存在しません。

だからこそ 自分自身を、そして自分の心をしっかりと保たなければ成らないです。

私達は 「 表面意識 」 の数パーセントの意識で、今を生きています。

そして物事を把握する事も、 この数パーセントの表面意識で行っています。
それ以外の九十数パーセントの意識は、 心の中に内在され、 潜在意識として、 心の中にしまい込まれているのです。

だからこそ、この 「 表面意識が正しい 」 という判断は間違っていることになります。
なぜなら、 心の数パーセントの意識だけで判断しているからです。
それでは、 数の論理から言っても、 正しいとは言えないでしょう。

ゆえに、心の中の 「 潜在意識 」 の中にこそ、 本当の真実が理解できる意識が存在していると言えます。

そして善なる心に通じる世界につながっているようです。

もっともっと奥の深い潜在意識にまでたどり着いて、 本当の善なる世界で物事を判断する事が出来るようになりたいものだと、 私は思います。


この苦しかった環境のことを思い出すと、 今では本当に懐かしい思い出と成っています。

しかし当事の事務局員時代に、 本当にお世話になったO・H事務局長さんから代わられたM事務局長さんに対しては、 心から憤りを覚えたことがあります。

理由は、事務局長としての態度でした。

事務所の中で椅子に踏ん反り返り、 机の上に足を投げ出し座っているのです。  そして下の者に対する態度は 「威圧的」 でした。 対人関係に対して表面上は丁寧でした。

アメリカ映画ではよくある姿ですが、 誰もそのような姿を見て、 よい気分はしないでしょう。

常にそのような姿がありました。

あるとき、 このMさんは講演の前座をしていました。

そして雨の話をしていました。
その雨についてもっともな話をしています。
その内容は、 「人は気持ちの持ちようで、 雨が降っても、 雨は濡れて嫌なものだと思わず、 雨もまたありがたいものであり、 感謝が出来るものである」 という話でした。

このM事務局長さんの講演の話しが終わってから、 東京から来られたT講師が、 Mさんの話は表面的で、 話に中身が無いという事を 「 やんわり 」 と話されました。

それを聞いたとき、 会場がものすごい雰囲気に変化したことを理解したことがありました。
そしてその後のM事務局長さんはかなり憤っていました。

しかし私もT講師の言った言葉がよく分かりました。

その後のM事務局長の採った態度は、 決して誉められたものではありませんでした。

O・H事務局長さんから推薦され勤めてから三年間頑張りましたが、 もちろん私が辞める時には、 このM事務局長さんはとても喜んでいたことは間違いありません。
なぜなら事務局を辞めたいと私が申し出た時は、 引き止めませんでしたわ、 さすがに。 ニコニコしていましたね。


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